【第六感紹介ブログ】透視?隠したボールが感知できる話

ノンフィクションファンタジー
MichaelaによるPixabayからの画像

小学生だった頃、野球少年だったわたしは校庭で壁当て(※)をしていました。
 (※…壁にボールを投げて跳ね返ったのを捕る、1人でできる野球の練習)

しばらくすると、少し離れたところで何かしていたクラスメートのF君が「ちょっと来てみて」と声をかけてきたんですね。
ついて行くと、そこには大小さまざまな砂山が横一列に30個ほど並んでいて、F君は
「どれにボールが入っていると思う?」
と笑顔で訊いてきたのです。

”こういう”遊びにワクワクしてしまうタチのわたしは、30個の山全体を眺めてから、いくつかの山の中から「ボールが一番入ってなさそうな山」を選んで「これじゃない」と言って山を崩しました。

すると思ったとおりボールは入っておらず、またいくつかの山の中から一番入ってなさそうな山を選んで、という感じで山を残り1つになるまで崩していきました。

そうして最後の山で「これだ」と崩すと、ちゃんとボールが入っていました。

F君が山を作っているところを見ていた訳ではありません。

単に確率の問題で、1/30の確率で当たっただけだったと捉える人もいるでしょう。

ですが、その時わたしの中では何も分からず適当に山を崩していったら最後の山にボールがあったのではなく、1つ目の山を崩す時から最後の1つになる時まで「この山にはボールは無い」ことが、何となくですが分かっていました。

どのような感覚で「この山にはボールが無い」ことが分かるかと言いますと、いくつかの山の中で一番入ってなさそうな山の”存在”が他のものより”薄く”感じるのです。これは視覚上濃く見えたり薄く見えたりするのではなく、意識で捉えた時にその存在を強く感じたり弱く感じたりします。

また意識で捉えようとした時、私の場合は頭頂部を通して見ていると言いますか、おでこと頭頂部の間辺りに映像が映っている感覚があります。

ボールが入っている山を一発で見分けることはできないの?とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、わたしの場合「数個の山の中で、入っていない可能性が一番高いのはこれ」という程度でしか分からず、当たりを一発で見分けるほど明確には分かりませんでした。

そんな感じで「より入ってなさそうな山」を順に崩していって、最後に残ったのが「入っている可能性が一番高い山」となるのです。ですので最後に残った山に必ず入っているという確信があるというよりは、”入っているとすればこの山”という程度のものでした。

なぜ分かるのかについては自分でも分からないので説明できないのですが、”どういう時”に分かるのかは少し説明できるかもしれません。幾つか体験例の後、お話しできればと思います。

次回へ続く

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