【第六感紹介ブログ】麻雀でのファンタジーな出来事④(流れを知ることはできるのか)

ノンフィクションファンタジー
Keith JohnstonによるPixabayからの画像

前回の話のような”流れ”が、目には見えないけれど実際には存在する、という前提で話を進めます。

まず、流れの認識レベルは以下のように大別できると思います。
 ①流れが存在することを認識できない
 ②流れが存在することを認識できる(存在だけは認識できるが、どう流れているかは分からない)
 ③どのように流れているのかを認識できる(過去~現在の既に起こった事象と因果関係を認識できる)
 ④この後どのように流れていくのかを認識できる(未来の状況、発生する事象を想定できる、もしくは認識できる)

そして完全に個人の感覚ですが、麻雀における①~④のレベル感はこんな感じです。
 ①…認識レベル:0
 ②…認識レベル:1
 ③…認識レベル:100
 ④…認識レベル:???(想定不可)

①→②へは1レベルの差しか無いのに、②→③が99レベルの差となっています。
流れというものが存在すると考えている人であっても、わたしを含めほとんどの人は②と③の間、それもほとんど②に近い所に居ると思われます。
そしてこのことが、流れというものが有ると感じているのに胸を張って”存在する”と言えない原因だと考えています。

「流れなんて本当にあるの?」
「じゃあ次どうなるか言ってみてよ」
「そんなオカルトに頼っているから勝てないんだよ」
なんて言われたら、認識レベル1付近の人は何も言い返せず、流れなんてただの思い過ごしなんじゃないかと思ってしまいます。

ここ数年、麻雀プロの方達の試合や番組の動画を見ることができるようになりましたが、プロの方の中でも流れがあるという方がいる一方、そんな非科学的なものは無いという方もおられるようです。
ただあったとしても実態が良く分からない、利用しようとしても分からないから使えない、といったものに頼るとかえって負けてしまうので、流れがあると感じていても”無い”と言っている方もいるのかもしれません。

さて、直接目に見えないものを感知したり、現時点より少し未来に起こる事象へ辿り着く方法として、以前の回で以下3通り存在すると書きました。
(1)パッと閃く
(2)意識的に感知しにいく
(3)事象の流れを推測する

これらの方法について、これまでの経験や思うところを記載したいと思いますが、まず、流れとは何か、なぜ流れは認識できないのかについてもう少し整理したいと思います。

またSFの世界になってしまいますが、麻雀でのファンタジーな出来事③(事象の流れとは)でも触れました通り、
・全ての事象(世界)は別の事象(世界)と何らかの因果関係がある
・ある時点でどのような事象が発生するかは無限のパターンが存在する
と考えています。

どういうことかと申しますと、例えば下図で時系列が時間[1]→時間[2]→時間[3]という順で過去から未来へ進む場合、
■時間[1]の時点で居た世界を「世界1」とすると、その時点で発生しうる事象は無限に存在します。
 →図では単純化して、事象[a] / 事象[b] / 事象[c]が発生しうることとします。

■事象[a]の発生が及ぼす影響、事象[b]の発生が及ぼす影響、事象[c]の発生が及ぼす影響はそれぞれ異なります。

■そして時間[1]→時間[2]へ進んだ時、事象[a]が発生した場合、事象[b]が発生した場合、事象[c]が発生した場合、それぞれ時間[2]における世界は異なるはずです(事象[a][b][c]が及ぼす影響が異なるため)。
そこで、
・時間[1]において事象[a]が発生した後に時間[2]へ進んだ時の世界・・・「世界2-a」
・時間[1]において事象[b]が発生した後に時間[2]へ進んだ時の世界・・・「世界2-b」
・時間[1]において事象[c]が発生した後に時間[2]へ進んだ時の世界・・・「世界2-c」
と名付けます。

■「世界2-a」においても、その時点で発生しうる事象は無限に存在します。
 →単純化して、事象[d] / 事象[e] / 事象[f]が発生しうることとします。

■同様に、「世界2-b」「世界2-c」においても、その時点で発生しうる事象は無限に存在します。
 →単純化して、事象[d’] / 事象[e’] / 事象[f’] 、事象[d”] / 事象[e”] / 事象[f”]が発生しうることとします。

このように、ある時点の世界とある時点の世界を「事象の流れ=因果関係(図の青い矢印)」が結んでいて、その流れを繋げていくと「無数の枝分かれがある道のようなもの」になると思います。

このことは、
・どの分岐をどちらに進むのかが決まれば、その先がどのような世界なのかは決まっている
・一方、その分岐は無限に存在するため、行き先は無限に存在する
つまり「因果関係によって世界は決まるため選んだ道の先にある未来は確定しているが、道の選択肢は無限に存在しどの道を選ぶこともできるので、そういう意味で未来は確定していない」ということが言えると思います。

このような無数の事象の流れが存在していたとして、その流れは通常、わたし達は認識することができないと思います。
以下、更に想像の世界ですが、わたし達の世界の中に事象の流れが存在しているのではなく、上図で言うと、無数の事象の流れの中の1本がわたし達の世界であると考えます。

・無数に存在する事象の流れ(異なる世界)・・・3次元の世界
・わたし達の世界(1本の事象の流れ)・・・2次元の世界
と置き換えてみるとイメージが湧くかもしれません。

2次元の世界を1枚の折り紙に例えると、折り紙を無限に重ねた世界(3次元の世界)の中の1枚がわたし達の世界(2次元の世界)という感じです。
1枚の紙(2次元)の世界のわたし達には高さという概念が存在せず、3次元方向に隣り合う別の折り紙の世界や事象の流れを認識することは通常できません。

ですが、既に述べました以下のような方法で、本来であれば認識できない、より高次元に存在すると考えられる事象の流れを、感知する・もしくは推測できることがあるというふうに考えると、わたしの実体験と符号する部分が多く腑に落ちる気がしています。
(1)パッと閃く
(2)意識的に感知しにいく
(3)事象の流れを推測する

次回へ続く

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